日本中医薬学会

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週刊「中国からの留学生便り<崔衣林>」第一話(4)を掲載

2018.11.03 カテゴリー:中国からの留学生便り

第一話 中医薬大学留学の第一歩(4)

北京中医薬大学博士課程 崔衣林


 夏休みに入ると学生たちは一人、また一人と故郷へ帰省していきました。夏休みは日本同様1か月半ほどあり、一緒に実習していた学生たちが帰省していく中、私は授業がなかったので張先生のもとで引き続き勉強させていただきました。普段は15人くらいいた学生も、気付けば私と台湾の友人、中国の研修医の3人だけになってしまいました。そこから私の本当の実習が始まりました。

 この期間にお世話になった方を紹介させていただきます。まずは恩師の張先生。張先生は日本にも数年滞在され日本語堪能、香港にも滞在されておられました。日本では東京衛生や名古屋に赴任されてたそうです。日本での豊富な臨床経験で活かし、中国人と日本人の体質の差を分析し、その違った治療法まで教えてくれました。そして患者さんだけでなく、同僚や後輩医師からも非常に信頼されており、治療をしても治らない患者さんが紹介されてきたり、担当の患者さんをどのように治療すれば良いかなどの相談にも来られます。

 次に患者さんをまとまる患者さんの李大爷(リーダーイェ、李おじさん)。数回脳卒中になり治療を受けていましたが、数回目からはまとめ役となったそうです。順番の事で喧嘩する患者さん多々いるのですが、そんな時は李大爷が収めておりました。李大爷は天津の方言が濃くコミュニケーションが困難でしたが、非常に優しく、指導に熱心な患者さんでした。先生が私に綿花ももらってくるよう指示した際、わからずにいると李大爷が言葉の通じない私に手招きしてくれ、他の診療室へ連れて行ってくれ、教えてくれました。患者さんが何故そんなことまで知っているのかも不思議でしたが、綿花を取りに行った先の診療室の先生が何も言わずに了承しているのもより不思議でした。李大爷は私に日本からわざわざ来たからしっかり学んで帰れと、自分自身の体に鍼を打たしてくれ、得気の出し方や感覚の差、方向性、張先生はこのように打っているなどと指導してくれました。特に張先生の醒脳開竅法でよく用いられる扶突、上極泉、曲地、少海、小海、間使、環跳、委中、三陰交の得気の出し方、丘墟と照海の透刺について李大爷の献身的なご指導で学ぶことができました。

 正直、夏休みの実習は非常に大変でした。朝7時半に病院へ向かい、患者さんの行列を間を縫うように進み、診療室のカギを開け、診療室ベットやデスクを整え、掃除し、数十名の血圧を一人一人測りました。7時45分になると張先生が出勤され、まずは漢方薬、西洋薬の処方が行われます。その時間を利用して、当時の診療室にベットが12台あったので、12人全員の上極泉、環跳、委中の神経刺を行い、先生の鍼治療の準備を整えました。午前診療が終わるのは13時半。ご飯を食べて少し休憩し14時半から午後診。午前同様、診療室の整理、血圧の測定、神経刺を行い、準備を整えます。午後診療は午前ほど忙しくないのですが、鍼の整理があります。当時は鍼はオートクレーブ滅菌をして使い回ししており、曲がった鍼を伸ばしたり、先が鈍化した鍼を処分したりなどの作業がありました。18時半には終わり、そこから30分ほどの講義が始まります。19時に診療室を出るといつも一番最後でした。

 夏休みは苦労ばかりではありませんでした。張先生は日本人からの信頼も厚く、日本各地から研修に来られました。東京衛生学園や母校である神戸東洋医療学院、加藤企画御一行、その他広島、大阪など各地から来られておられました。個人では東京の松田先生、仙台の阿部先生など、ここでお知り合いになった日本の先生は非常に多いです。勉強の場であり、出会いの場でした。

 専門分野においては、中西結合医学が実践されており、特に天津は脳卒中の治療である醒脳開窮法がメインで、脳の画像診断と弁証から行う中医治療が特徴的です。私たち学生は、まずは基底核や内包、視床下部など画像上での脳の解剖を学び、そして脳各部位の作用と異常が起きた際に現れる症状を覚え、脳梗塞と脳出血、急性期と慢性期と陳旧性などの見分け方を学び、中医診断治療と結合させていきます。その他、失語症の種類と中西医学的診断と中医治療、仮性球麻痺と真性球麻痺の中西医学的診断と中医治療法の違い、末梢性と中枢性顔面神経麻痺の中西医学的診断と中医治療法の違いについても実際の患者さんを診ながら学びます。一日の終わりに行われる講義では今日来た患者さんについて分析し、明日はこういうところに注目して観察し治療を行うとポイントを協調してくれます。

 張先生は、現在では退職され午前診のみに減らしたものの、当時は月曜日から土曜日まで午前午後診療されておられ、講義までくださいました。先生自身も非常に大変だったと思います。

座して左手に鍼を持っているのが張伯儒老師

 そんな濃く暑い夏休みが終わる頃に学生たちが帰ってきました。学生たちは口を揃えて、私の中国語が上達した、交流ができるようになったと喜んでくれました。学期も始まり、正常の授業が行われ、実習は午後だけになりました。患者さんから学んだ天津弁も少し話せるようになったその頃がちょうど中国留学生活6ヵ月経った頃でした。張先生や李大爷、日本人の先輩方への感謝の6ヵ月です!以上、私の中医薬大学留学の第一歩でした。


第二話>へつづく

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