日本中医学会 会長
平馬 直樹
日本中医学会顧問 小髙修司先生が3月27日、急逝されました。
診察中にカルテ記載の文字が曲がってしまう異変にご自分で気付かれ、母校の東京医科歯科大学で検査を受け、視床下部付近?に少出血巣が見つかり、念のために入院となったそうです。数日経過を観察し著変がないため退院され、その日は診療もされて、休んだところ、奥様が異変に気付かれ、半身まひの状態となり、その時点では意識もあり、苦痛も訴えなかったそうですが、まもなくそのまま眠るように息を引き取られたということです。
先生は中医がん治療の第一人者として、日本の中医学を牽引されていました。著作も何冊も上梓し、古典研究にも深いものがありました。まだまだ、活躍されるはずでまことに痛恨の極みです。
先生は耳鼻科領域の頭頚部腫瘍の外科治療がご専門でしたが、1980年代から中医学に取り組み、80年代末から都立豊島病院の東洋医学科で本格的な中医診療を始めました。北京市中医医院から派遣された中医師(レベルの高い素晴らしい方々でした)に学びながら、後進の養成にも熱心に取り組まれました。仙頭正四郎先生、北田志郎先生らが後に続きました。
1989年に東京臨床中医学研究会ができると、先生もまもなく参加。初代会長張瓏英先生逝去後は会長として月例研究会の場で会員を導くとともに、広島中医学研究会と合同で、四川や上海の老中医との交流を主導されました。
先生は著作も多く、『中医学で病気を治す』『三千の知恵中国医学のひみつ』『中国医学の健康術』などの啓蒙書、『身体にやさしいガン治療』『再発させないがん治療』『思いやりのガン治療』などの中医がん治療の実践を紹介する著作、さらに古典に通暁された先生ならではの『唐代文人疾病攷』また大書『宋以前傷寒論考』の分担執筆など枚挙にいとまないほどです。これらの業績は後々まで輝き続けることでしょう。
私とは長い付き合いでした。私が北京の広安門医院に留学中に、先生も短期間でしたが東京都から北京医院に派遣され研修されました。広安門医院の老中医について学びたいと連絡があり、一緒に陪席して学んだのもよい思い出です。東京臨床中医学研究会では、はじめ先生が副会長、私が事務局長、のちに先生が会長、私が副会長で、月例研究会、中国との医学交流を協力して推進しました。日本中医学会設立後は先生に顧問に就任していただき、2016年の第6回の学術総会では「再発させないがん治療」の演題で特別講演をいただきました。今年の学術総会では東京医科歯科大学の後輩にあたる別府正志先生が会頭を務め、先生にランチョンセミナーの講師をお願いし快諾いただいていました。幻に終わりまことに残念です。
先生は刀剣などの日本工芸、日本文化にも造詣が深く、何といっても酒の知識と実践には誰もが一目置く深みがあり、私も研究会のあとの酒の席、中医師を招いての宴会などで、先生から酒の飲み方、うまい酒をずいぶん教授いただきました。先生は飲むと明るくなり、楽しい酒でした。先生とはたくさんの思い出がありもう一緒に酒を楽しめないのは寂しい限りです。
先生、今までありがとうございました。先生の功績は不滅です。今後は私たち後輩が、先生が中医学にかけてきた情熱を受け継ぎ、中医学の発展を担っていく所存です。どうぞ天国からお見守りください。
また、本学会評議員の加藤久幸先生が、先生の訃報を、親交の深かった四川省成都中医薬大学の馬烈光先生に伝えたところ、馬先生がすぐに追悼の詩文を作って送ってくださいました。つたない訳ですが翻訳文も併せて紹介させていただきます。また、この詩文を書にしたため、その写真も送っていただきましたので併せて掲載いたします。
日本小髙修司故友 千古
普済群生心即佛,
妙除百病智争仙,
先生素抱良医志,
高德长留在世間。
中国成都中医薬大学馬烈光謹挽
2019年3月28日
日本の小髙修司は永遠の旧友
人々を普く救済するその心は仏のごとし
百病を絶妙に治療するその智は神仙に匹敵
先生はかねてから良医を志し
その高徳は末永くこの世に記憶されることだろう