日本中医薬学会

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週刊「中国からの留学生便り<崔衣林>」第三話を掲載

2018.11.19 カテゴリー:中国からの留学生便り

第三話 医聖張仲景の故郷を訪れて

北京中医薬大学博士課程 崔衣林


 今回は中医学の医聖張仲景の故郷であると同時に、中華民族の発祥地である河南省を訪れました。河南省は中国の中部に位置し、長江、淮河、黄河、海河が流れ、平野が多く農業が盛んで中国の食糧庫と称される都市です。歴史も深く、数十万年前すでに人類が居住していたとされます。8000年前から裴李崗文化、仰韶文化、竜山文化が次々と出現しました。また周易や八卦もこの地で生まれ、中国人の姓のうち1500個以上の姓がここに源をもち、中華民族のルーツとも言える地域なのです。そして中国武術門派の総本山である少林拳の所在地でもあります。

 今回の訪問時期は日中国交正常化45周年、日中平和友好条約締結40周年という記念すべき時期であり、中日友好病院にて日本大使館大使や日本医師会会長など多くの方が参加された日中平和友好条約締結40周年・中日友好病院開院34周年記念シンポジウムが開催されるなど、日中友好ムードの中で実現しました。偶然なのか必然なのか、その昔、私たちと同じスケジュールで同じ場所を、日本漢方医学の復興と普及、向上に一生を捧げられた矢数道明先生らも1982、84年に訪問され、34年前の中日友好病院の開院式や河南省での仲景学術討論会、医聖祠に建立された「張仲景敬仰之碑」の除幕式に出席されました。今回はまるで医聖張仲景に導かれ、日中友好に貢献するようにとご指導賜るような感覚での訪問でした。

 北京中医薬大学傅延齢教授(劉渡舟名誉教授の弟子)と私たち門下生は、宛西製薬会社李社長の案内のもと、仲景学術討論会に参加し、医聖祠、医聖山、宛西製薬工場、張仲景医院、張仲景薬局を訪問しました。医聖祠とは、東漢末年の著名医学者で医聖と称された張仲景のお墓で、彼の巨著「傷寒雑病論」は弁証論治を確立させ、中医臨床の基本原則を作り上げました。その理論を研究し、臨床で実践しているのが張仲景病院。特にこの地域では名医が多く、その子孫たちは子供の頃から「傷寒雑病論」を暗記し、学校に入る前から祖父や父のもとで臨床を学んでいるそうです。

 この地域は自然が豊かで漢方薬がたくさん取れたので中国医学が発展したと推測できます。医聖山においては多くの漢方薬の自然の姿を見ることができました。特に六味地黄丸に用いられる山茱萸が多く、山いっぱいに赤い実がなっていました。現地の農民の方が、山道を進む所々で漢方薬を見つけては紹介してくれました。普段、薬局で加工された後の薬材しか見ない私たちには実際の植物を触れる機会がなかったので、大変貴重な体験をすることができました。ここで収穫された漢方薬は宛西製薬工場で加工され、張仲景薬局で生薬もしくは中成薬として販売されます。私たちは生産から患者さんに処方されるに至るまでの工程を一つ一つ見学することができました。普段何気なく見ている漢方薬がこんなにも多くの人の手によって育てられているとは思いもよりませんでした。幼い頃、「お米はお百姓さんが誠意を込めて育てたから感謝しながら一粒残さず食べなさい。」とよく言われましたが、漢方薬も同じです。農家から工場の方たちへ感謝しながら、漢方薬を処方し、飲む事が大事だと思いました。

医聖山の山茱萸
宛西製薬会社の六味地黄丸製薬工場と張仲景薬局中薬房

 薬局を後にし、バスに乗り、次の目的地である医聖祠へ向かいました。30分くらい走るとバスは門の前に停められました。その門の両側に白い塔があり、正面には白い門が聳え立っていました。大きな門をくぐるとそこが医聖祠。一歩踏み入れると、外部の音はなく、雰囲気も一変し、神秘的な感覚に包まれました。霧のような小雨が墓守をするようで、神々しい雰囲気を漂わせました。そして目の前には歴代名医の像が並び、私たちを出迎えてくれるようでした。中庭へ進むと両側には歴代名医の像や石碑がありました。「医聖祠」と書かれた赤い門をくぐると、「東漢長沙太守醫聖張仲景先生之墓」があり、私たちはお香を供え、傅教授が書かれた詩《仲景弟子誓词》※1(張仲景の弟子としての誓いの言葉)を読み上げ、礼拝しました。傅教授は「中医学は書籍や臨床で学ぶだけでなく、祖先の力があってこそ、最大限の力を発揮できると、『学』とともに『礼』が大事で、『感謝』を忘れないように。」と強調されました。

医聖祠

 中庭には矢数道明先生揮毫の「張仲景敬仰之碑」がありました。その他、渡邊武先生や寺師睦宗先生、岩橋信種先生、志馬導先生の署名、日本の張仲景先生の碑、書籍「漢方医学」や「傷寒論医学」、そして当時の写真などが蔵されていました。数少ない海外からの参拝者の中からこんなにも多くの日本人が訪問されているのだと知り、日本人の「医聖張仲景」と「傷寒雑病論」に対する敬意を感じることができました。日中の医学交流は現代に始まったものではなく、長い歴史を経て現在に至ります。中医学こそ日中友好の証であり、まさに「中医学は日中友好のカギである。」と言えるでしょう。医聖張仲景は今日もなお、私たちを導き、日中友好に貢献されておられるのです。

日本東洋医学会矢数道明会長ら日本漢方医学代表団

 今回の訪問において、案内してくださった李代表をはじめとする宛西製薬会社の方々、私たち門下生を連れて来てくださった傅教授、私たちが平和に中医学を学べるような環境を作ってくださった先輩方、そして日中友好と中医学の道へと導いてくれた医聖張仲景に感謝しながら、今後の中医学の人生を歩んでいきたいと思います。


※1《仲景弟子誓词》:
“天生仲尼,亘古光明;天生仲景,玉宇清宁。勤求博采,悲天悯人!
仁术普济,大德永存。伤寒金匮,亦论亦经。众方之祖,万代准绳。
水火谷粟,医家生命。万世景仰,大哉医圣!吾辈医者,天下己任。
学行经方,务精竭诚。去恶行善,祛邪扶正。爱身知己,爱人知人。
益生曰祥,爱人为仁。发此誓愿,酹酒一樽。圣光普照,天下太平!”

訳:
《仲景弟子誓词》:(張仲景の弟子としての誓いの言葉)
天生仲尼,亘古光明;(天は孔子を産み、字を仲尼とした。孔子は思想家で、教育家でもあり、彼の啓蒙は千年以上、人類の暗黒に光を灯した。この光明は永遠に続く。)
天生仲景,玉宇清宁。(天は医聖張仲景を産み、張仲景は天を清め、人類と社会は安寧となった。)
勤求博采,悲天悯人!(張仲景は勤勉で、優秀であり、心優しい。)
仁术普济,大德永存。(医術を用いて貧富を問わず皆助け、彼の意思は永遠に継承される。)
伤寒金匮,亦论亦经。(傷寒論と金匱要略は論であり、経である。)
众方之祖,万代准绳。(張仲景は全ての流派の祖であり、後世の医家の規則を作った。)
水火谷粟,医家生命。(陰陽と百草は医家にとって生命のように大事である。)
万世景仰,大哉医圣!(張仲景は後世から景仰される偉大な医聖である。)
吾辈医者,天下己任。(私たちは後継者として天下を救うべきである。)
学行经方,务精竭诚。(学習と行動において誠心誠意を尽くす。)
去恶行善,祛邪扶正。(悪行を避け、善行を心掛け、不正を咎め、正義を守る。)
爱身知己,爱人知人。(自身の命を大切にし、自身を知る。そして他人を理解し、他人を愛する。)
益生曰祥,爱人为仁。(他人を救うことを祥と言い、他人を愛することを仁と言う。)
发此誓愿,酹酒一樽。(誓いをこの一杯のお酒に懸ける。)
圣光普照,天下太平! (医聖の精神が多くの人を影響し、社会が平和であることを願う。)



第三話 了

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