日本中医薬学会

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週刊「中国からの留学生便り<黒澤汪>」第二話を掲載

2018.12.15 カテゴリー:中国からの留学生便り

第二話 日本と中国とタイの中医学の架け橋となりたい

天津中医薬大学日本人会会長 黒澤汪


 私が生まれたタイと言えば、タイマッサージなど伝統医学が有名ですが、伝統医学の一つである中医学は数年前まで認められていませんでした。免許制度や法律もなく、中医学を行う医師はタイ医師の身分で中医学を行っておりました。最近になってやっと中医学が法律化され、中医学の知名度が上がり、中医学の自然療法を求める声が高まりました。特にバンコクやプーケット、チェンマイなどでは中医学診療所が増え、中医学治療を気軽に受けることができるようになりました。大学においても中医学科が開設されました。現在、タイ全国8箇所の大学で中医学を学ぶ事ができ、各大学は中国各地の中医薬大学と提携をし、専門人材育成に力を入れております。

 タイにおいて中医学に対する法律が整ったのは最近ですが、中医学の歴史は深いです。13世紀中旬、中国東南部からの移民者によって中医学がタイに入ってきました。400年前のナーラーイ王朝の宮廷薬典にも中医薬の記載がありました。19世紀末には中国東南部からの移民者も増え、中医学が活発になり、中華系の方たちだけでなく、タイ本土の方たちも中医学治療を受け入れるようになりました。当時、経済発展が遅れていたタイでは西洋医学を受診できない方が多く、中医師総会は1903年よりボランティアの中医学診療所を各地で設立しました。この活動は社会に対する影響が大きく、多くの方が中医学の治療を受け入れるきっかけとなりました。しかし、1958年にタイ政府は《中国貿易禁止条例》のもと、中医学を含む中華教育を全面禁止したのです。1961年には医師免許申請する際にタイ語試験を義務化したため、タイ語がわからない当時の中医師たちはほとんど試験に合格できず、中医師は激減しました。中医学の発展が絶望的な状態となったのです。それから十数年間、中医学暗黒時代となりました。そんな中医学暗黒時代が転機を迎えたのは1975年のタイ中国国交正常化でした。国交正常化を機に中医学は新たに発展し、1995年にはタイ国家衛生部の管轄下で初の中医学病院である《華僑中医院》が設立されました。1997年より中国と共同で人材の育成が始まり、2004年よりタイ国家教育部の支援のもと、中国各地の中医薬大学と提携し、大学本科生の育成をするようになりました。この時期に、法律も整備されました。2000年にはタイ国家衛生部より中医学を正式な医学として認め、世界で初めて中医学を法律で認めた国家となりました。2012年にはタイ国家衛生部に《中医職業管理委員会》を設立し、10名の中医師を受け入れました。2015年にはタイ国家衛生部により、中医学診療所の開設を正式に認めました。現在では多くの中医学診療所があるだけでなく、20箇所以上の西洋医学病院にて中医学科が設けられました。タイ国家衛生部は今後、西洋医学の病院で中医学科を義務付けるとの計画もあるようです。そんな時代の後押しもあり、私は中医学を学ぶようになりました。

 タイの中医師国家試験は中国の大学を卒業しても受験資格があります。私は2019年6月に卒業後タイに戻り、2019年8月に国家試験を受験予定です。受験科目は筆記試験が理論知識と法律の二つに分かれ、その他実技試験と面接を合わせて四つのパートに分かれています。合格には全ての科目100点満点中、60点以上必要です。中国と内容が異なるところがあるのが難しいです。2000年の第一期には218名が合格し、現在既に2000名が中医師として診療しており、毎年100名ずつ増えています。私もその中の一人になれるよう、頑張りたいと思います。


第二話 了

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